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17,468本の真空管を積んだ部屋が、コンピュータの始まりだった

いま手の中にあるスマートフォンから逆算すると、コンピュータの始まりは想像しづらくなっています。最初のコンピュータの1つは、部屋ひとつぶんの大きさで、重さ30トンでした。


部屋ひとつが、1台だった

1946年、アメリカ・ペンシルベニア大学で公開されたENIACは、次のような機械でした。

項目 数値
重さ 約30トン
設置面積 約9m×15m(1部屋まるごと)
真空管の数 17,468本
消費電力 約150kW
開発費 約49万ドル(当時)

アメリカ陸軍の弾道研究所が、大砲の弾道計算表を作るために発注しました。それまで人間が手計算や機械式計算機でこなしていた仕事を、電子回路に肩代わりさせるのが目的でした。

ENIACの真空管パネルが並ぶ部屋。手前で兵士が機械の設定をしている。 ENIACの内部。パネルが部屋の壁を埋めている(U.S. Army Photo, 1946年、出典)

「プログラムする」が、配線をやり直すことだった

いま「プログラムを書く」と言えば、キーボードでコードを打つ作業を指します。ENIACには、その意味でのプログラムは存在しませんでした。

新しい計算をさせるには、何千本ものケーブルを差し替え、約6000個のスイッチを1つずつ設定し直す必要がありました。この配線作業には数日かかり、次の計算に移るたびに、また最初からやり直しでした。

この配線を担当していたのは、6人の女性たちでした。ケイ・マクナルティ、ジーン・ジェニングス、ベティ・スナイダー、マーリン・ウェスコフ、ルース・リヒターマン、フラン・ビラス。マニュアルも、プログラミング言語も、前例もない中で、エンジニアが書いた回路図だけを頼りに、実際に機械を動かせる配線へと変換していく仕事でした。彼女たちの名前と貢献は長らく記録に残らず、後年になって専門のプロジェクトが掘り起こすまで、歴史から抜け落ちていました。

ENIACのパネルの前で、2人の女性が配線とスイッチを操作している。 配線作業にあたるプログラマー。グレン・ベックとベティ・スナイダー(U.S. Army Photo, 1947〜1955年ごろ、出典)

計算の速さは、1秒に5000回だった

これだけの部屋と人手をかけて、ENIACがこなせたのは1秒あたり5000回の足し算・引き算、357回の掛け算でした。

正確に何倍と言える比較先は無いのですが、今のスマートフォン1台に載っているチップは、1秒あたり数十億から数兆の演算をこなします。5,000回との差をざっと計算すると、100万倍から10億倍という開きです。

「世界初のコンピュータ」は、ENIACだけの称号ではない

ENIACは「世界初の汎用電子計算機」としてよく紹介されます。ただし、これには続きがあります。

1973年、米国の特許裁判(Honeywell対Sperry Rand)で、ENIACの特許は無効と判断されました。理由の1つは公開から1年以上経ってからの出願でしたが、もう1つ、ENIACの設計者がジョン・アタナソフの着想(二進法での演算、コンデンサを使った再生式メモリなど)を基にしていたと裁判所が認定したことも含まれます。アタナソフが1930年代末から作っていたABC(Atanasoff-Berry Computer)は、汎用でもプログラム可能でもない専用機でしたが、この判決以降、コンピュータの起源を語る上で無視できない存在になりました。

同じ頃、ドイツではコンラート・ツーゼが1941年にZ3という機械式の計算機を完成させています。「始まり」は、1つの国、1つの機械には収まりません。

まとめ

  • ENIACは重さ30トン、部屋ひとつぶんの大きさで、17,468本の真空管を積んでいた
  • 「プログラムする」とは、数千本のケーブルとスイッチを数日かけて配線し直すことだった。実際に手を動かしたのは6人の女性たちで、その貢献は長く記録に残らなかった
  • 性能は1秒に5000回の足し算。今のスマートフォン1台とは、100万倍から10億倍という開きがある
  • 「世界初のコンピュータ」という肩書きは、1973年の裁判以降、ENIAC単独のものではなくなっている

30トンから手のひらまで、80年に満たない時間で起きた変化です。この先どこに向かうかより先に、どこから始まったかを押さえておくと、途中の一つひとつの飛躍が見えやすくなります。

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