Dance with Agents

日本が540億円を投じた「第五世代コンピュータ」が数えていたのは、計算の回数ではなく推論の回数だった

深掘り

小学校の卒業文集に「第五世代のコンピュータを作る」と将来の夢を書いた子どもがいました。このサイトの管理人です。コンピュータ少年だった本人の当時の理解では、それは人工知能が実現したコンピュータのことでした。この計画は、小学生が卒業文集に書く程度には、世の中に届いていたわけです。

では、第五世代コンピュータとは実際に何だったのか。

コンピュータには「世代」という数え方があります。第1世代から第4世代までは、機械が何でできているかで数えていました。ところが1982年に日本が国を挙げて掲げた「第五世代」だけは、部品の話ではありません。機械に何をさせるかで名づけられています。


第4世代までは、部品の名前で数えていた

世代 数える基準 だいたいの時期
第1世代 真空管 1940年代〜
第2世代 トランジスタ 1950年代後半〜
第3世代 集積回路(IC。多数のトランジスタを1枚の板にまとめた部品) 1960年代〜
第4世代 大規模集積回路(LSI)とマイクロプロセッサ 1970年代〜

第1世代がどれほどの規模だったかは、『17,468本の真空管を積んだ部屋が、コンピュータの始まりだった』で扱っています。1946年のENIACは真空管を17,468本使い、重さ30トン、部屋ひとつぶんの大きさでした。それが小さな部品に置き換わっていく過程が、そのまま世代の番号になっていたわけです。

この数え方に素直に従うなら、第5世代は「LSIの次に来る部品」を指すはずでした。実際にはそうなりませんでした。

通商産業省が11年と540億円をかけた

1982年度、通商産業省(現・経済産業省)が主導して、新世代コンピュータ技術開発機構(ICOT)という組織が作られます。国内のコンピュータメーカー各社が研究者を送り込み、11年間で約540億円が投じられました。

掲げた目標は「知識情報処理を指向した新しいコンピュータ技術の研究開発」。知識情報処理は当時の言い方で、いまで言う人工知能にあたります。部品を1段階小さくするのではなく、機械が中心に据える処理そのものを計算から推論へ動かす——それが「第五世代」という名前の中身でした。

事実と規則を書いておくと、機械が結論を導く

どうやって人工知能にするのか。第五世代コンピュータが選んだのは、論理プログラミングという方式です。

やることは三段論法です。「ポチは犬である」「犬は哺乳類である」という2つを書いておくと、「ポチは哺乳類か」と聞かれたときに、機械が2つを突き合わせて「哺乳類である」を導く。人間が手順を1行ずつ書くのではなく、事実と規則だけを書いておいて、答えの出し方は機械に任せるという考え方でした。

この方式のプログラミング言語としては、1972年にフランスで作られたPrologが知られています。ICOTはこれを出発点に、多数のプロセッサで同時に走らせるための言語KL1を自前で作りました。

速さの単位も、それに合わせて変わります。第五世代コンピュータが数えたのは足し算の回数ではなく、規則を1つ当てはめる操作を1回と数えた推論の回数でした。単位はLIPS(Logical Inference Per Second、1秒あたりの論理推論回数)。目標は毎秒1億回以上です。

目標はソフト寄りに、手段は専用ハードになった

ここが第五世代コンピュータの分かれ目になりました。目指すものは「計算する」から「推論する」へ動いたのに、実現する手段としては専用の機械を作る道を選んでいます。

作られたのは、推論だけを速くこなす専用機でした。1台で順番に推論するPSI(逐次推論マシン)から始まり、最終的にはPIM(並列推論マシン)が5機種。そのうち国立科学博物館に保存されているPIM/pは、毎秒30万〜60万回の推論をこなす要素プロセッサを最大512台つなぎ、全体で毎秒約1億5000万回に到達しました。ICOTの報告によれば、当時の汎用大型機の50〜100倍の速度です。

掲げた性能目標には、到達しています。

各国が対抗プロジェクトを立てた

この計画は国外でも注目されました。1983年にアメリカで出版された書籍『The Fifth Generation』は、副題を「人工知能と、日本による世界へのコンピュータ挑戦」としています。

1980年代前半、アメリカでは企業が資金を出し合ってMCC(Microelectronics and Computer Technology Corporation)という研究組織を作り、国防高等研究計画局(DARPA)も大型計画を立ち上げました。イギリスではAlvey計画、ヨーロッパではESPRITが動き出します。日本発の国家プロジェクトが各国に対抗策を作らせた例は、コンピュータの歴史の中でもそう多くありません。

性能は届いた。それでも失敗と語られる

プロジェクトは1992年度で終わります。機械は動き、二十数種の応用システムが作られ、成果のソフトウェアは無償で公開されました。ICOTの記録には、1993年4月末までに約1,100人が6,400本をコピーして持ち帰ったと書かれています。

それでも、このプロジェクトはいまでは失敗として語られることが多くなっています。理由は性能ではありません。そこから商売になる応用が生まれなかったことです。しかも推論専用に作った機械は、その後の汎用ワークステーションやパソコンの性能向上に追い越されました。専用の機械を作り続けるコストに見合うだけの需要が、育たなかったのです。

規則を人間が書き下ろす、という前提のほうが行き止まりだった

もっと根の深いところに、別の限界がありました。世界の知識を、人間が規則の形で書き下ろさなければならないという前提です。

「ポチは犬である」なら書けます。では「コップを落とすと割れることがある」「傘は雨のときに使う」——こうした常識を、何万、何億と書き足していく先に終わりがあるのか。実際にそれを試したプロジェクトがあります。第五世代コンピュータへの対抗策としてアメリカに作られたMCCで、1984年にCycが始まりました。人間の常識を手作業で書き下ろし続けるプロジェクトで、2012年時点で約50万の概念と500万の言明を蓄えています。それでも作業は終わっていません。

いまのLLM(大規模言語モデル)は、この前提を逆にしました。規則を人間が書かず、大量の文章から統計的に学ぶという方式です。AIが二度の冬をはさんで方式を入れ替えてきた道のりは、『ブームは、これで三度目——LLM以前のAIの歴史、70年の浮き沈み』にまとめてあります。

ただし、第五世代コンピュータが賭けた2つのうち、プロセッサを大量に並べて同時に走らせるという方向性は当たりでした。いまのAIを支えているGPUは、まさにそれです。並べた先で走らせているものが、論理の規則ではなく膨大な掛け算と足し算になった、という違いがあるだけです。

「第6世代」は、来なかった

第五世代のあとに「第6世代」という呼び方が定着することはありませんでした。世代で数える言い方そのものが、ここで途切れています。

部品の種類で世代数を決めるあり方は、部品が順に置き換わっている間しか使えません。そしてシステムの基幹的ロジック(その機械が中心に据える処理。第五世代なら推論)で世代番号を決めるあり方は、1回試して行き詰まりました。いまのAIの進み方を、番号を振って数えている人はいません。

まとめ

  • コンピュータの世代は第4世代まで部品の種類で決めていた。第五世代だけは、機械が中心に据える処理——推論——で番号が付いている
  • 1982年度から11年、通商産業省が約540億円を投じた国家プロジェクトだった
  • 方式は論理プログラミング。事実と規則を書いておくと、機械が三段論法で結論を導く
  • 速さは計算回数ではなく推論回数(LIPS)で測った。PIM/pは512台のプロセッサで毎秒約1億5000万回に到達している
  • 性能目標は達成した。失敗と語られるのは、商売になる応用が生まれず、専用機が汎用機に追い越されたから
  • 最大の行き止まりは、知識を人間が規則として書き下ろす前提だった。いまのLLMは、規則を書かず文章から学ぶ逆の道を通っている
  • 実機のPIM/pとPIM/mは、国立科学博物館に保存されている

コンピュータ史の記事

コンピュータ史のページへ →